他人事じゃない。


胸をしめつけられる思い。
父が倒れて半年後の退院時、母は自ら在宅介護を選んだ。それから6年。介護は傍でみていても楽なもんじゃない。3度の食事も投薬も胃ろうのため、1回につき2時間近くかかる。お風呂はヘルパーさんやデイサービスでお願いしているけど、排泄の世話はもちろん介護者がしなければならない。最近は減ったものの時々発作を起こすこともあるので常に気が抜けない日々。週に2度の9-16時のデイサービスの時間だけが母が少し自由に動ける時間だ。それでもウチはケアマネージャーさんのお力添えもあって、恵まれている方だと思う。
介護と赤子の世話は似てるようで根本的に違う。子育ては成長していく楽しみがあるけれど、高齢者介護は現状維持が精一杯。父も60になってすぐ倒れ、リハビリを続けて少しずつ少しずつ良くなったところもあるけど、逆に進行した病状も多々ある。年齢的なこともやはりあると思う。そして何より、看る方も年をとる。

介護は、このCMのようなことは、他人事じゃないのです。私も、母だってあの夏まではいつかそんな日が来るかもなー、だったから。

病状も安定したし帰宅させれば何とか看られるだろう、という安易な考えは現状を全く分かっていない*1。例えば、家。平屋の我が家ですらリフォームがかなり必要だった。車椅子での移動は1cm以上の段差があると厳しい。車椅子生活が前提ならバリアフリーにしなければならない。トイレ、各所の手すり・・・外への出入りは庭先からとせざるを得なかった。膝をぶらぶらさせて涼んだお縁は、コンクリートで固めたスロープの続きになってしまった。(せめて安っぽい手すりをつけてくれんな、とばーさんから言い渡されたっけ。。。) 補助があると言ってももちろん全額はフォローされない。父の蓄えの何割かはこのリフォームで消えた。。。

どうか、一生懸命に生きてきた人が倒れたとき、フォローできる社会であって欲しいと思う。受入れ体制が整わない限り、余所に介護をお願いするという選択肢を選ぶことは、決して自分勝手でも、贅沢でもない*2はずなのです。*3

* 父が倒れて今日で丸6年。以前書いたものをちょっと手直ししてupしました。
  普段はあまり思わないんですが、この文に関してだけは誰かの心に少しでも響けばいいな、
  と願っています。(乱筆雑文で申し訳ない。。。)
  健康は、命は、当たり前のものじゃないんです。
  普通の日々を過ごせることが幸せなのだ、と年を重ねるごとに思います。


*1:病院の言い分は分からなくはない。次々に運ばれてくる患者さんが居て、ベッドの空きがないのも目の当たりにしてきた。分かってないのは現状を知ろうとしない制度側。自分たちも介護してみれば良い! する日・してもらう日もあるかもしれないのに。お金持ちはやっぱり高級施設にオマカセしちゃうのかしら?

*2:例えば胃ろうは医療行為。家族か医療従事者しか処置できないから施設によってはデイサービスやショートステイを断られてしまう・・・。

*3:だからと言って我が家が悲壮な日々を過ごしてるワケじゃないですよ。皆一緒に笑う日も怒る日もあるフツーの家・・・だと思う。じーちゃんはあんまり動かんし喋らんけど一緒に住んでいる家族。おコたちもアタリマエにそう思っている。。。