当り前じゃない

祖母の入院先も同じような患者さんでほぼ満床だ。設備も看護も充実しているこの病院に置いてもらえるのはホンマにありがたい、と皆、言う。・・・何故『ありがたい』んだろう?こう言わねばならんのだろう?
例えば今の祖母を在宅介護となるとたちまち家族の負担は相当なものになる。入院費よりは金銭面で楽になるかというとそうでもない。少なくとも誰かが仕事を辞めて介護せねばならんのだから。その分の補填があるはずもない。育児休暇はあっても介護休暇がある会社なんてまず聞かない。家のリフォーム、日々かかる消耗品(オムツ諸々)費、光熱費。洗濯量はハンパなく増えるし、元気な者だけだったら耐える暑さ寒さもそうはいかない。我が家だって父の部屋のエアコンを切る日は殆どない。
でもそんな金銭・物質面より、介護の真のしんどさは『評価がないに等しい』ことだな、と最近、思う。子育ては成長という喜びをまだ味わえるし目が離せない時期はある程度限定されるけど、介護はそうはいかない。そして看られている方も看る方も歳をとる(前にも書いた)。疲労が抜けない身体に疲弊する心。それを『家族だからそれは当り前』の一言で片付けられたら?
現場の人(看護婦さんや介護をサポートしてくださるケアマネ・ヘルパーさんたち)は、皆、本当に良くして下さる。だから我が家の在宅介護も何とか成り立っている。でも正直、ギリギリ、だな、と思う日もある。もっと切羽詰った状況の人は沢山居る。皆、多かれ少なかれ身も心も無理して日々過ごしてます。これだけでも分かって欲しい。

じゃあ介護される側の幸せは?と訊かれると言葉に詰まる。祖母からも父*1からも訊く事は、悲しいかな、多分、叶わない。

*1:7年前、不整脈からきたと思われる脳梗塞で倒れる。身障1級・要介護4。右半身不随、言語・嚥下障害(胃ろう処置済)、ペースメーカー植込済。